スピリチュアル,インド人ヒーラー,ナレンドラ,ヒマラヤ

スピリチュアルな出来事

PartI

ヒマヤラ,インド人,スピリチュアルリーディング,ヒーリングインドと日本で、ナレンドラとパートナー、家族が体験した不思議な出来事を綴っています。それは単なる偶然ではなく、必然的に起きた出来事だったり、何かの気づきに通じているものでした。


ヒマラヤの洞窟に住む聖者たち

ナレンドラはヒマラヤ山脈の中にある洞窟に住むある聖者からヒーリング技術を伝授されました。その洞窟には16人の聖者がいましたが、皆年齢は500歳を超えています。しかしその肌は若々しいままです。
彼らはほとんど言葉を使わずにテレパシーのようなものでコミュニケーションをかわします。実際ナレンドラのグル(霊的師)であるバデリナードが彼に発した言葉は「来い」と「行け」だけでした。
16人のグルの中には、イエス・キリスト、仏陀(お釈迦様)、シルディ・サイババ(現在のサティア・サイババの前世)にそっくりの顔をしたグルがいました。
彼らはふだんほとんど食べ物を口にしません。サイババもそうですが、食べ物から生きるためのエネルギーを摂取する必要がないからです。
ナレンドラが目撃した最初の奇跡は、ある日、彼が水を飲みたいと思い、近くにある井戸に行きました。中をのぞいてみると井戸はとても深く、水は5メートル以上底にありました。その井戸には水を汲みあげるための設備がなく、ナレンドラが水を飲めずに途方に暮れているとそこに居合わせたバデリナードは井戸の底に向かって手を伸ばしました。そして彼の腕は井戸の底の方にまで伸び、そこにある水を汲みあげたのです!
ナレンドラはこれを見て、彼らが奇跡を行う聖人であることを知りました。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本によると、彼らはイエス・キリストのように水の上を歩き、その場から姿を消し、数分後には数10キロ、数100キロ離れた土地に移動することができます。また目の前で蒔かれた麦の種からたちまち芽が出て、成長し、実った麦からパンを作ったという話も書かれています。パンだけでなく、生活に必要なものは何でも創り出すことができます。例えば食堂に入って支払いの際に手の平を上に向けて出すと、そこにちょうど支払い額に相当する貨幣があらわれます。
そのような奇跡を行うことを彼らは特別なことではなく、私たちにも可能であり、彼らと私たちとはなんら違いはないといいます。彼らは「自分の中に存在する神の能力をあなた方より発達させただけだ。」と言うのです。「ただ神の意識をあらわしたにすぎない。」と。


天照大神のビジョン

1996年、ナレンドラが日本の静岡のあるお寺でヒーリングや瞑想の講師をしていた頃、2人の日本人とともに夜遅くまで霊的な事について話しあっていた時のことです。
夜中の3時ごろ、急にナレンドラの前に白い雲のようなものが顕われ、その場面が海に変わったのです。その時彼の目は閉じられており、その光景を彼は第三の目(第5チャクラ)で見ていました。
雲の向こうから黒い長い髪で真っ白い古典的なドレスを着て、頭には王冠をかぶった女性が顕われ、彼の方に近づいてきて、彼の身体を一瞬にして通り過ぎて行ったのです。美しい日本的な顔(現代の日本人の顔とは若干違ってもう少しふっくらした感じ)のその人物を彼は見たこともなく、会ったこともありませんでした。その時話をしていた日本人のうちの1人は霊的なお坊さんであり、彼によるとその後しばらくナレンドラの顔はまるで光を発しているように輝いていたと言うのです。
翌日、前の晩に話し込んでいた日本人と道を歩いていたところ、古びた新聞の切れ端が落ちているのに目がとまりました。拾い上げて見ると、そこに描かれていたのは、深夜ナレンドラのビジョンに出てきたその人物の姿でした。その記事をいっしょに歩いていた日本人に見せたところ、それが日本の神、天照大神であることがわかったのです。
しかし何故かわかりませんが、その後ナレンドラは日本で多くの幽霊に遭遇するようになったのです。


日本で出会ったおばけ(幽霊?)

これも静岡のお寺の宿舎に滞在していた頃の出来事です。
寒い季節だったので、ナレンドラが頭の上の方と足元とに2つストーブをつけて毛布をかぶって寝ようとしていた時です。彼の頭上に置いたストーブが自動的に消えたので、「おかしいな?」と思いスイッチを入れ直しました。すると今度は足元においてあるストーブが消えるのです。自動的に交互に消える2台のストーブのスイッチを何度か入れ直しているうちに、今度はナレンドラの掛けていた毛布を足の方から誰か引っ張る者がいます。しかしその宿舎には彼以外誰もいるはすがありません。
毛布を引き上げてかぶると、また毛布を引っ張るので、足元を見るとそこに2人の幽霊がいました。彼らはこの世に残っている彼らの家族に何かを伝えてほしかったようでしたが、ナレンドラには彼らの日本語がよく理解できなかったので、どこにいる家族に何を伝えてほしかったのかわからず、この幽霊との接触はこれきりでした。


インドの子どものおばけ

これはナレンドラが9歳のころのあるお祭りの日に祖父とともに体験した出来事である。彼の祖父はお祭りの時に甘いお菓子のお店を出していた。夜中にお菓子をつくり、朝早くにそのお菓子をトレーの上にピラミッド型に積み上げて、ナレンドラがお店まで歩いて持って行くと、上の方の3つがなくなっていた。
誰が持って行ったのか見てやろうと思い、2度目に運ぶときに後ろを振り返って見ていると、身体の長さが70~80センチの上半身は人の形をしているが、足はなく先の方が長細くなっているおばけがお菓子を取っていた。
祖父に何かがお菓子を取って行ったと話し、その場所に祖父を連れて行くと、そのおばけがまだそこにいた。祖父は「おいで、おいで」と言ってそのおばけを呼んだものの、近づいては来ない。そこで祖父は瓶を取ってきて、マントラ(呪文のようなもの)を唱えながら、そのおばけをつかみ、瓶の中へ入れ、近くの湖にその瓶を投げ入れてしまった。今その湖は埋めたてられて地面となっている。
このおばけはクッティサイタン(子どものばけ)と呼ばれるもので、映画にあるキャスパーがそれです。子どもはまだ純粋なので、ちょっとしたイタズラをする程度で、生きている人間にそれほど害を与えることはありません。日本にもたくさんいるようです。


サイババへの帰依(信仰)

ナレンドラの祖父および両親がサイババの帰依者(信じて教えを実践する人)であり、サイババが夏に過ごすバンガロールに近いホワイトフィールドのアシュラム(霊性修行の場)の近くで生まれたため、ナレンドラは物心つく前からサイババのアシュラムに連れて行かれ、ダルシャン(神が祝福を与える)を受けてはいたが、ナレンドラ自身は20歳頃までサイババを本当には信じていなかった。サイババが空中で手を廻しビブーティという神聖灰を出すことを彼自身もずっとマジックだと思っていたのだ。
サイババのアシュラムで、サイババの写真を撮影していたカメラマンの助手を勤めていた頃、サイババが夏の避暑地であるコダイカナルへ移動したため、彼も雇い主であるカメラマンと車でコダイカナルへ向かう途中のことである。コダイカナルまでは20時間ほどかかるのだが、全く休憩せずに走り続けたため、彼が運転していた車のタイヤが2本同時にパンクしてしまったのだ。スペアのタイヤは1本しか持っておらず、あたりにパンクを修理してくるガレージもなかったので、彼は2本のタイヤをはずして、それを手で廻して動かしながら1KMほど押して行き、ガレージを見つけてパンクを修理してもらった。
修理したタイヤを車に取り付けて10KMほど走ったところで、また2本のタイヤがパンクしてしまった。彼は心の中でサイババを非難した。カメラマンは彼を怒ったが、急に「ババ(サイババ)の悪口を言っただろう。」と言うので、彼は正直に、「そう。だってババを信じてないから。」と言った。するとカメラマンは「ババに許してほしいと祈りなさい。」というので素直にそれに従ってサイババに誤り、祈った。
すると今まで一台の車も通らなかったその道の後方から2台の車がやってきて、パンクの修理を手伝ってくれた。パンクだと思ってタイヤのゴムチューブを水につけてみると、チューブに穴はあいていなかった。ただ空気が抜けていただけで、タイヤには何の問題もなかったのである。その後1ヶ月間の旅の間も、そのタイヤには何の問題も起こらなかった。
コダイカナルのサイババのダルシャン(神の祝福を受けること)で、彼は生まれて初めてビブーティをサイババの手から出してもらった。ナレンドラはこの出来事をきっかけにサイババを信じるようになり、帰依者となったのである。


妹の出産での出来事

ナレンドラの妹が最初の男の子を出産した時の出来事です。ナレンドラが生まれたのもホワイトフィールドにあるサイババの無料の病院ですが、彼の妹も里帰りして同じ病院で出産することになりました。ところが、妹の子どもは生まれる直前でも逆子で、そのままだと母親か子どものどちらかの命が危ないという危険な状態となりました。
運の悪いことに主治医の産科医は休暇をとってサイババのダルシャン(神の祝福を受けること)を受けに車で3時間半もかかる隣のアンドラプラデシュ州、プッタパルティ村のサイババのアシュラムに行っていました。午前4時45分に同僚の医師がプッタパルティに電話を入れてその主治医と連絡をとりました。
ところがその5分後に突然その主治医がホワイトフィールドの病院に現れ、彼の妹の出産に立ち会って、無事男の子が生まれました。赤ちゃんは生まれる瞬間にお腹の中でターンしたのでした。
病院の医師も彼の身内の誰もが「奇跡だ!」と言いました。4時45分にプッタパルティにいた医師が5分でホワイトフィールドに来られるわけがありません。妹の出産に立ち会ったのは主治医の姿をしたサイババだったと皆が思ったのです。


サイババの夢

サイババが夢に出てくるということは、夢を見る本人の意図ではなく、サイババの意志がないと実現しないということになっています。
かく言う私(ナレンドラのパートナー)も、周りの帰依者からババが夢に出てきたという話はよく聞いていたし、夫のナレンドラからはしばしばババの夢のことは聞かされてきましたが、私自身サイババのことを知ってからもう6~7年もたっているのに、いっこうにババの夢を見ることはありませんでした。
それが今年の後半になって、つまりナレンドラと結婚してから続けて2度、サイババが夢に出てきたのです。
1度目はナレンドラがもうじき滞在のために来日するのを待っていた時、下がコンクリートかアスファルトで出来ている広場の真ん中にババが立っていて、私の妊娠のことを知っているというようなことを言い、お腹の中の子どもと私に向かって祝福を与えてくれました。(祝福を与えるとは、愛のエネルギーを与えるということです。)
もう1度は、ナレンドラが来日してから、2人で新潟に住む私の両親のところへ向かう途中の出来事でした。新宿から夜行列車に乗って、朝方新潟駅でローカル線に乗り換え、両親の住む越後線の妙法寺という駅に向かっていました。妙法寺の駅につく1~2分前に私はウトウトと短い居眠りをしました。その間に見た夢の中で、私たちが駅で乗り換えをしようと列車を降りた後、サイババもその列車から降りてきて、別の電車に乗り換えたのです。サイババの通り道にはアシュラムと同じように赤いカーペットが敷かれていて、乗り換えの電車にサイババが乗り込んだ後、駅員がそのカーペットをかたずけました。
夢から目覚めた瞬間は、すぐにも電車を降りなければならなかったので、慌てていてこの夢のことを意識しませんでしたが、2人で私の両親の家に着いて両親とお茶を飲んでいるときにこの夢が意識にのぼってきました。私は「ババが私たちといっしょに来てくれて祝福してくれたんだ。。。」と思いました。